- 大学を出た後、とある中小企業でEngineerをしていた私、あるときとんだ話が舞い込んで来ました。「ソビエトに行ってくれ」.... 「はっ?」という感じでした。会社が当時のソビエト連邦(今のロシアです)と大きな技術供与の契約をとったというのです。
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- ついてはお前に技術指導員の一人として現地に行ってほしいとの事。まさに青天の霹靂とはこのことです。いままで海外勤務はおろか、海外旅行にさえ行ったことのない私です。私がちょうど30歳になったときのことでした。
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- 「ソビエトといっても、私ロシア語しゃべれませんけど」、これが私の最初の反応でした。聞けば、現地技術者は英語がしゃべれるらしい(?)ので英語で教えてこい。おいおい。いつ?と聞くと設備の製造などのリードタイムを考慮すれば約一年先とのこと。
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- 一晩考えて会社側に条件を出しました。英語を習わせること。英文の技術指導マニュアルの作成のリードを私にとらせること。自分で納得したマニュアルなしにお粗末な英語力ではまず達成は無理だろうとの読みでした。会社側はあっさりとOK。後で知ったのですが、その会社にしては破格の契約金が動いていたので、会社としてのPriorityも高かったのです。
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